1ヶ月検診の次の週にお宮参りをした。

わたしが七五三をやった神社で。

名古屋から彼のお父さんたちが来た。うちの両親も参加した。

お昼ご飯をみんなで食べてから出かける。

息子はとても愛想が良かった。

ごはんを食べた店で授乳しておいたおかげもあってか、お祓いの間もおおむねおとなしくしていた。


その翌日、わたしと息子は、里帰りを終えて家に戻った。

といっても、里帰り中に引っ越しをしたので、新しい家に来た、というほうが正しいかもしれない。

引っ越しは彼が一人でやってくれたわけだが、

自分一人が暮らせる最低限しか荷解きしなかったらしく、

家の中はダンボールだらけだった。

こりゃー大変だぞ、と思う。

新しい家で、慣れない育児をしながら、日々の家事もしつつ、荷解き。

無理だ(笑)。


うちの母も、「こりゃあかん」と思ったようで、サポートに来てくれることになった。

まあ、半分くらいは、孫に会う口実だったかもしれないが(笑)。

でもすごく助かった。

母が息子を見てくれているあいだに、いろいろ用事を済ませることができた。

近所のスーパーにも出かけてみた。前に住んでたところの最寄りのスーパーより大きくて、全体的に安かった。これは嬉しい。

たまには息子が一人で機嫌よくしててくれることもあって、

そういうときは母と二人で荷解きを進められたので、ますます捗った。


土日には彼をせっついて、二人で片づけを進めていった。

わたしもものを捨てられないほうだが、

彼はもっとそうなので(笑)、なかなか大変だ。


日中は息子の相手をしながら少しずつ家事をする。

抱っこしてないと泣いちゃうような機嫌の時もあるので、なかなか満足にできないけど。

夜8時前後に彼が帰ってくるので、

それからすぐお風呂。

まずわたしが入り、あとで彼に息子を連れてきてもらう形。

彼が出てきたら息子をまかせてご飯を作る。
息子が寝入る時間はまちまちだが、だいたい10時~11時くらいになると寝てくれることが多い。


あったかくなってきたのに合わせて、息子を少しずつ外出させる。

まずは近所のスーパーから。

彼がいるときはベビーカーを使い、平日の昼間などわたし一人のときは抱っこひもを使う。一人だと息子を抱えてベビーカーの開閉はたいへんだし、レジカゴを持ちづらいからだ。

それと、お花見がてら、うちの母方のおばあちゃんのところへ行ったり、

予防接種を受けに行ったりした。

外出中の息子はいつもおとなしく、愛想が良い。

注射を打たれる時もほんの数秒しか泣かなかった。


暮らしが落ち着いてきたところで、家に友達などを呼ぶようになり、息子のお披露目(?)をする。

大学のクラブの仲間や、学科の友達、彼の幼なじみなど。

彼の生みのママも、ひとりでやってきた。息子の顔を見て、「利発だけど頑固。そういう顔」と言う。わたしもそう思う。だんだんやんちゃそうな、ゴンタな顔になってきた(笑)。

GW中にお食い初めと初節句をやり、気づけばもうすぐ4カ月。体重は7キロに達し、身長は65センチで発育曲線の天井付近だ。よく育っている。母乳の需要と供給のバランスがとれているのだろう、時々詰まることはあるけど、ぱんぱんに張ってどうしようもない、というようなことはなくなった。

あ、でも、一度、乳腺炎(らしきもの)にはなった。

高い熱が出たのでそのときはつらかったが、1日で熱が下がり、病院に行くまでもなくさっさと治ってしまった。


彼は、前述のようにほぼ毎日わたしと一緒に息子をお風呂にいれてくれる。腰痛が悪化しているが、コルセットをまいて息子を抱っこしてくれる。おむつ換えはちょっと苦手みたいだが、汚れた布おむつの手洗いなどは全然いやがらずにやってくれる。

しかし3人で暮らし始めた当初は、息子が泣くのに慣れなくて、彼はものすごく動揺していた。

「こんなに泣くもんなの?どっか悪いんじゃないの?」と。

実家で1ヶ月息子と暮らして、もう「こういうものだ」とわかっているわたしからすれば、こんなことを言われると頭にくるだけなのだが(笑)。

なんというか、泣く=悪いこと、必ず何か原因があってそれを取り除くべき、みたいに思っているようだった。

泣き声が近所迷惑になることを気にしてもいるようだった。

わたしが授乳しているのを見ると、

「あ、おっぱいやってくれてるの。ありがとう」なんて言うこともあり、

この「ありがとう」が癪に触って、

「は? 泣き止ますためにおっぱいあげてるんじゃないんですけど」と思ったりした。

でも彼も、息子と暮らすうちに、赤んぼはとにかくあらゆることで泣くということ、それが普通だということを完全に理解し、慣れたようだ。


わたしだってもちろん息子がなかなか泣き止まなくて参ってしまうこともある。服や部屋をどんどん汚されたり髪をむしられたりして、悪気がないとわかっていても腹が立ってしょうがないこともある。こういう気持ちがエスカレートしていくと虐待とかに至るんだろうな、となんとなくわかる。

でもやっぱり息子は可愛いし、何があってもこの子だけは守りたいと、素直に思う。それに彼や実母に助けてもらっているから、なんとかやっていけている。

退院後は、息子と一緒に、実家で1カ月ほど過ごした。

慣れない育児生活の初めに母のサポートがあったのは、たいへん助かった。

それに、家族全員が息子のことをとてもかわいがってくれた。

父は、わたしたちが小さい時だってそんなことしてくれなかったのに、換気扇の下でタバコを吸ってたし(笑)、

母は息子が大泣きしてても「かわいいなあ~」とうれしそうだし(笑)、

結婚にも出産にも興味がなさそうだった妹は「仕事から帰ってこの子の顔見るのが楽しみ」なんて言うし、

弟も、夜に息子が泣いていると様子を見に来て、「俺の出番?」と言って抱っこしてくれたりしていた。

もちろん彼も、週末になるとうちの実家にやってきて息子を抱いて、名前を何度も呼んでかわいがっていた。

おばあちゃんや伯母、従姉妹(妊娠中)なども、息子に会いに来てくれた。

退院した次の日には、彼の実家のお父さんたちも、名古屋からやってきた。

息子の顔はどちらかというとわたし似で、もっと言えば、うちの父親や弟によく似ている。今のところあまり彼には似ておらず、彼は残念そうにしている(またうちの父が嬉しそうに「俺に似てる」と何度も言うもんだから余計に)。でもよく見ると眉の形が彼に似ているし、顔つきなんかこれからどんどん変わるだろうと思う。


里帰り中、産後で精神状態があまりよくなかったせいか、

些細なことにストレスを感じてしまい、泣いたこともあった。

夜に息子が泣くと気を遣ってしまい、誰かが様子を見に来るだけで「うるさい」と言われているような気がして焦ってしまう。朝に「きのうけっこう大きい声で泣いてたな」と言われるだけで、泣きやませられない自分が責められているように感じて、傷ついてしまう。もう完全に被害妄想。

いちばんキツかったのは、朝わたしが息子を抱いたまま(つまり添い寝状態で)寝てしまっているのを見た父に、「小さいうちは添い寝は絶対あかん」と怒られたことだった。

窒息の危険があることは知っているから気をつけているつもりだったし、添い寝しながら授乳してたわけではないし、夜中にぐずって大変だったのでくたくたで、添い寝でやっと寝てくれたのに「絶対あかん」だなんて…と思うと、悲しくなって涙が止まらなかった。

彼と別々に暮らしているのが寂しくて落ち込むこともあった。

彼はわたしが元気ないのをとても心配してくれて、添い寝の話とかも「うんうん」と聞き、なぐさめてくれた。

まだ母乳の出具合が安定しなかったのか、乳房がぱんぱんに張ってとんでもなく痛かったり、乳腺が詰まったらしくこれまた泣くほど痛かったりということもあった。入院中に引き続き、乳首も傷ついて痛かった。

胸が張って痛い時は、冷やしたタオルとか保冷剤をあてて、あとは息子にたくさん吸ってもらうしかない(笑)。一度、ぱんぱんに張った状態であおむけで眠ったら、目覚めたとき痛くて起き上がれなくなっていたことがあった。人間、胸のあたりに力を入れないと起き上がれないのだと初めて知った。大声を出せば全部屋にきこえる狭い家だが、夜中だったのでできず、ケータイをとって母のケータイにかけてみた。ダイニングのほうで着信音が鳴ったが、母は起きなくて、かわりに夜遅くまで起きている弟が気づいて着信を見て、助けに来てくれた。弟に体を起こしてもらったが、なんかすごく情けなかった(笑)。


息子はとても元気で、喉の鳴るのが聞こえるほど母乳を飲む。そのかわりしょっちゅう吐き戻すのだが、苦しそうではない。お風呂が好きなようで、沐浴中はほとんど泣かずおとなしくしている。うっかり寝返りするんじゃないかというほど体をひねるし、手足もバタバタとよく動かす。

1ヶ月検診では、息子の体重は約4200gになっていた。通常の1.5倍の増え方だそうだ。先生が言うには「双子でもギリギリいけるくらい」母乳が出てるらしかった(笑)。

股関節の検査なども難なくパスし、ひっかかったといえばお尻がかぶれていることだけだった。

何か気になることは?ときかれたので「よく吐き戻すんですが・・・」と言ったら、

「飲みすぎだと思います」とのこと。お尻が荒れてるのも、よく飲む分うんちの回数が多いからじゃないかという。結局、吐くのは別に問題ないし、お尻はこまめにおむつを換えてあげること、そして拭いてあげてから少し乾かすと良いとのことだった。

入院中のこと。


母子同室でたいへんなのは、やはり夜だった。

最低でも2~3時間ごとに息子が泣くので、なかなか眠れない。

授乳してすぐに眠ってくれるときなどはまだいいのだが、

母子ともに不慣れなため、うまくいかないことも多かった。

上手に授乳するには、乳首を深く口の中に入れて吸わせないといけないのだが、

息子は乳首をくわえるときに焦ってしまうらしく、手を思い切り突っ張るので、結果的に自分でおっぱいを押しのけるような格好になってしまう。この癖(?)は2か月になった今もそうだし、乳首をくわえればしっかり飲むので別に問題ないとわかるのだが、最初は「おっぱいいらないの?」と思ってしまった。

それに、押しのける息子と近づけようとするわたしで攻防になり(笑)、結局深くくわえさせられず、乳首が傷ついて血豆みたいなのができてしまった。こうなると、授乳のたびに激痛。息子が吐き戻したものの中にはがれた血豆が混じっていて、スタッフの人をびっくりさせたりもした。


2日目か3日目あたりだったと思うが、夜中、授乳がうまくできず息子がひどく泣いて、二人部屋なので気を遣って仕方なく、息子を抱いて部屋を出たことがあった。誰もいない授乳室に入り、泣き続ける息子を抱っこしてうろうろして、また授乳を試みるのだが、やはり息子がおっぱいを押しのける。思わず涙が出てきてしまった。心が折れる瞬間がはっきりとわかった。

夜中に廊下に出ると、ほぼ必ず複数の赤ちゃんの泣き声が響いている。どこも大変なんだなあと思う。ずっと一人で不機嫌な赤んぼと向き合ってると、睡眠不足もあって病んでくるのだが(笑)、夜はスタッフの人が2回くらい様子を見に来てくれるし、つらいときはナースステーションで2時間くらい預かってもらえるので、助かった。わたしも一度だけ預かってもらった。自分でなんとかできなかった、というしょんぼり感と、助けてもらおうと決めたことでの解放感、両方があった。


それでも、母乳は順調に出ているようで――それに息子の飲みっぷりもいいようで、3日目くらいに授乳室で計ってもらったところ、54g(cc?)という数字が出た。基準がよくわからなかったのだが、スタッフの人に驚かれたことからすると、けっこう多いらしい。その後も、スタッフの人に世話になるたびによく「あのよく飲む赤ちゃんね」と言われたのだった。

入院生活自体はけっこう快適で、何が良かったかって食事が種類豊富でヘルシーでおいしかったことだった(笑)。母乳育児にこだわっている病院なので、「いいおっぱいを出すため」というのもあったみたいだが。

産んだ次の日はシャンプーしてもらえたし、毎日シャワーも使えた。デコルテエステのサービスもあった。アイスクリームやシフォンケーキのおやつが出る日もあった。

午後2時からは面会が可能になり、母が必要なものを持ってよく来てくれた。彼も2日に1度は顔を出してくれた。仕事が終わってからだとほんの少しの間しかいられないのに、それでも来てくれた。

引っ越しを控えていたため、その手続きの関係上、出生届けの提出を少し急ぐことになった。ので、入院中に名前を決めて届けを出した。

妊娠中からだいたい決まっていた名前。字だけギリギリまで迷っていたのだが、二人で話し合って決めた。

そうして、母子ともに元気に過ごし、5日で退院となった。

わたしの子宮の戻りも順調だったし(仰向けに寝てお腹にさわると、こりこりと固いものがあり、それが子宮だということだった。今しかさわれないからねーと言われた)、息子も何一つひっかかることなく退院診察を終えた。

退院の前に、息子をとりあげてくれた助産師さんからメッセージカード(息子宛て)をいただいた。嬉しくてほろり。


前の続きです。



出産後、少ししてから胎盤が出てきた。

まだぼーっとしてて、見せて下さいと言うのを忘れた。胎盤ってどんなんか見てみたいなと思ってたのに。

ちょっと伸びが悪くて会陰が裂けちゃいました、すみません、と助産師さんから言われ、ドクターがその裂傷を縫い始めた。あーやっぱり破けちゃったんだなーと思う。傷自体の痛みは感じていなかったのだが、縫合は、麻酔してくれたはずなのにちくちくとけっこう痛かった。しかしなぜ助産師さんが謝るのだろうと不思議だったが、おそらく助産師さんのリード次第では破けないで済むこともあるのだろう。まあわたしは自分で「破けてもいいや」と思っていきんだので、助産師さんのせいではないと思うけど(笑)。

生まれたての息子は、(たぶん軽く体を拭かれたあとで)カンガルーケアということでわたしの胸の上に乗せられた。うつぶせは危ないので、少しの間だけだが。

初めて触れる赤んぼは、小さくて湿っぽくて、頭がしっかり重かった。

・・・と、そのとき、ぴしゃーっと水にぬれる感触が広がった。病院の寝巻がびっしょり。息子がおしっこしたのだった。

「20gくらい減っちゃったかもね」とスタッフの誰かが笑って言った。まだ体重を測る前だったのだった。


測った体重は2736g。本当は2750くらいだったのかな(笑)。直前の検診での推定体重とだいたい合っていた。前々回の検診の時は3000越えと言われたから、けっこう誤差があるみたいだ。

出生の時刻は、午後7時53分。結局、病院に入って2時間しかたっていなかった。

陣痛が10分間隔になったのは何時くらい?ときかれ、よく覚えてなかったのだが、彼とイオンに行った頃にはそんなもんだったかな、と思い、「4時くらい」と答えた。ので、母子手帳に記録される「分娩時間」は、4時間足らずとなった。初産婦としては、かなり短い。スピード出産で、安産。しかも予定日ぴったり。素晴らしいことだ。


出産が終わってしばらくすると、体がガタガタわなわなとひどく震えだした。筋肉が疲れたのだろうか。

それと、きつめの生理痛のような痛みがあった。子宮が収縮しているからだという。けっこう痛い。

夕食あっためてもらうね、と言われる。そういえば手配してもらってて、ちゃんとLDRに運んでくれてあったのに、食べるどころじゃなくお産が進行したのでそのままだったのだ。

まだ起き上がってはならないので、食べさせてもらってください、とのこと。

天ぷらやみそ汁、野菜の煮物など。

彼が口に運んでくれる。介護されてるみたいでなんだか恥ずかしい。

母親に電話して、生まれたよー、と報告する。えっ、もう? という感じだった。それにわたしが疲れ切った感じでなく、普通の声で電話してきたのでびっくりしたみたいだ。

縫合が終わってから、産褥ショーツにでっかいナプキンを敷いてはかせてもらっていたのだが、

そのナプキンの中に、でろでろと血が出ているのがわかった。

助産師さんがそのナプキンをとって持っていき、「出血の量を見ます」と言う。たぶん重さを量っていたんだと思う。で、「出血量が多い」とのことで、子宮を収縮させる点滴を2袋も使うことになった。

生まれたばかりの息子は、ビタミンK?のシロップ(栄養の中で、これだけは母乳に含まれていないのだそうだ)を飲ませてもらったり、少し体温が低いということでわたしの腕に包んで寝かせてあたためたり、初乳を飲んだりした。

初めての授乳。思っていたよりはるかに吸う力が強い。痛いくらいだった。

少ししてから母が戻ってきて、まだ起き上がってはいけないわたしのかわりに、彼と交代で息子を抱いたりしてくれた。

助産師さんもナースさんもなかなか戻ってこなくなった。他の出産がバタバタと続いたらしい。救急扱いのもあったみたいだ。そうとう忙しかったようで、入院する部屋に連れて行ってもらうのが真夜中になってしまった。

その前にナースの人に付き添われてお手洗いに行った。「痛いと思うけどがんばってしてみて」と言われたのだが、本当に本当に痛かった。縫った傷にしみているらしい。この痛みは結局1週間くらい続いた。用を足すたびにひどく痛むというのはかなりのストレス。

なんか、痛いことばっかりだなあと思う。縫合も痛かったし、子宮収縮も痛いし、授乳も痛い。産んだら何もかも楽になると思っていたのにな。


入院の部屋は二人部屋だが、カーテンでしっかり仕切られていて、ただ出入り口のドアを共有しているだけという印象だった。

この病院は母子同室なので、息子といきなり二人きりにさせられる。授乳の仕方も抱き方もよくわからないまま、入院生活はスタートしたのだった。

続きです。


病院に到着。助産師さんが出迎えてくれる。小柄で優しそうな人。

案内される途中にも痛みが来て、壁に手をついて耐えていると、助産師さんが腰をさすって、呼吸のタイミングをはかってくれた。それが、明らかに痛みがふーっと楽になる感じで、感動してしまった。やっぱりプロってすごい。

まず内診をする。子宮口が4センチひらいているとのこと。昨日の検診では閉じていたのに。「明日の朝には生まれるでしょう」と言われる。へえ、そんなもんか……と思う。

ちょうど病棟で夕ごはんが出るくらいの時間だったので、「ごはん用意してもらいましょうね」と助産師さんが言う。「えー…食べれるかなあ…」とわたしは言ったが、「食べたほうが絶対に出産が楽よ」とのことだった。


LDR室に入る。

照明ちょっと暗めの部屋。

着替えたり、機械をつけられたり、立会いの確認をされたり、なんだか忙しい。

機械はNST検査の時のと同じやつみたいだった。赤んぼの心拍をはかっている。ボッボッボッボッというような音がずっと聞こえる。

どんどん痛みが強くなってきた。はじめはベッドに手をついて呼吸をきちんとしてやり過ごせたのに、途中から片足でぱたぱたと床を叩くようになり、ベッドに上がってと言われてからは手すりを握って体を丸めて必死で耐えるようになった。痛さのあまりベッドの柵を足で蹴ったりした。

たぶんこのあたりでだったと思うが、子宮口が7センチとかいわれて、予想が早まって「日付が変わる前に生まれるでしょう」と言われていたのがさらに早まって「あと2時間で生まれるでしょう」になって、両親がいったん帰っていった。

わたしは、苦しんで我を忘れているような状態を両親に見られたくなくて、「恥ずかしいからいなくていい」と言ってあった。父親はもとより見たくなどなかったみたいだが(臨月のナマ腹も見たくないと言う人だった)、母親は「部屋の中でなくても、病院の近くにいたい」と言っていた。「見たい」のではなく、気がかりで仕方ないからそばにいたい、という感じだった。なので母親は家族の夕飯の用意をして、それから戻ってくるつもりだったようだ。

わたしのそばには彼だけが残った。


陣痛中も休みの間もほとんどずっと目をぎゅっとつぶったままで、まわりを見ていなかったせいもあり、

このへんからわたしの記憶はたよりない。

なので前後関係が定かでないのだが、覚えていることを書いていこうと思う。


陣痛は、体の中で大きなカタマリが下に向かってドスンドスンと叩きつけられるような感じだった。「突き上げる」の逆バージョンみたいな。
静かなお産にしたかったが、そううまくはいかなくて(笑)、それなりに悲鳴はあげてしまった。

仰向けになるように言われたが、痛くてできなくて「仰向け無理~」と言った。

採血だか点滴だかのために注射されるときも、「動かないで」と言われたのだが、陣痛が来ると痛すぎて体が跳ねるので、難しい。

呼吸もうまくできなくなってくる。汗びっしょりになった。

それでも、助産師さんには「いい陣痛きてるよ」と言われ、「そうそう上手」みたいなことも言われ、順調に進行しているようだった。

彼曰く、わたしがきちんと呼吸をして上手に力を抜くと、赤んぼの心拍が上がったそうだ。だから彼は「(赤んぼに)酸素あげてー」とわたしに声をかけた。

気がついたら分娩用にベッドが変形させられて、わたしも足を上げて固定されていた。医者とナースが呼ばれた。

途中で助産師さんの手で破水させられた。羊膜が破れないまま出てきちゃってて見えてる、とか言っていたと思う。丈夫な羊膜だったんだなあ(笑)。破いてもらうと、温かい水がびしゃーっと出てくる感覚があった。「びしゃびしゃや~」とか言ったような気がする。

彼はわたしの頭の左側に立っていてくれた。陣痛が来るたび、彼の服の首あたりを掴んで耐えた。彼は中腰でしんどかっただろうと思う。わたしがあんまり首元を引っ張るので、彼は「セーターが伸びる」と思って1枚脱いだそうだ。

必死ではあったがわたしはまだ少し冷静で、「きついー」などと、いたって普通の感想をもらしていた。陣痛と陣痛の間の休みが短くなってきて「休憩がないよー」と言ったりもした。

痛すぎて陣痛の合間も下半身がわなわなしてるので、陣痛と休みの境目がよくわからなくなってきていた。

頭が見えてからがけっこう長かった。

髪の毛が2センチくらいあるとかなんとか、彼と助産師さんが会話していた。

よくきく「いきみたいのを我慢する」とか「いきみ逃し」とかそういう感じがないまま、出す段階に入っていた。たぶん進行が早すぎたのだろう(笑)。

途中までなんとなく加減していきんでいたが、長いので疲れてしまい(「疲れたー」と言った覚えがある)、もう切れちゃってもいいやと思って思い切りいきんだ。

助産師さんが「いいよー」みたいなことを言った。だいぶ出たのだろう。


丸いかたまりがずるっと出てきた感触があった。

すぐに産声がきこえた。

その瞬間何を思ったのか、覚えていない。

目の前の光景をただ見つめて、ぼうっとしていた。

現れたそれは確かに人間の赤ん坊だった、それが何か不思議な気がしたのかもしれない。

彼が言うには、目を見開いてポカーン状態だったそうだ。

予定日前日、検診。

数日前から、メールや電話をよくもらう。みんな「まだかな?」「そろそろかな?」と気にしてくれているようだ。

まあ、わたしがききたいわ、ってなものだが(笑)。

もうすぐなのかまだまだなのかを占うぐらいはできるだろうと思って臨んだ検診だが、

結果は「まだ閉じてます」。どうやら予定日を超過しそうだ。

でもこの内診が刺激となって、検診後に急に陣痛がくるような場合もある、とよく聞くので、やはり落ち着かない。


予定日当日、依然として気配はない。

日曜日なので、彼が会いに来てくれることになっていた。

夜の不眠が続いているので、だらだらと寝て彼を待つ。

横になっていると、なんとなくお腹に痛みがあった。

おや、と思う。今までは、お腹が瞬間的に「きゅうっ」と張ることはあっても、痛みは無かった。前駆陣痛ってやつかな?と考える。これがくるってことは、近づいてはいるってことなのかな……まあ試しに間隔を計ってみよう、と時計を見つめた。

彼が到着した。両親は出かけていて留守で、しばらく二人でリビングでゴロゴロしていた。

その間にも時々、痛みはやってきた。強めだったり弱かったりした。間隔は10~15分くらい、まちまち。

「うーん。なんかお腹痛いんよね…」と彼に言う。

彼の反応は「え、そうなん。来たかな?」というような感じだった。

両親が帰ってきた。

「さっきからお腹痛いねん」と母に言う。

「あらっ、そう。来たかな? 来てもおかしくないわな」と彼と同じような反応だった(笑)。

「でもまだわからんし。予定日当日に産まれたらすごいよなー」と笑う。

この日、彼と二人でちょっと出かけようかという話をしていたのだが(里帰り以降ふたりきりの時間が少なかったため)、

「出かけて大丈夫なん?」と彼は心配した。

「うん、大丈夫大丈夫。」とわたしは言った。動けないような痛みではなかった。

でも遠出はこわいので、近所のイオンに、入院中に読む本を買いに行ってすぐ戻ってくることにした。


彼と一緒に外に出て、駐車場まで歩こうとすると、

ちょっときつめの痛みが来た。

「ちょっとまって~」と彼に言い、しばらく立ち止まって、痛みが去るのを待った。

彼は「あかんわ。戻ろう」と言う。

わたしは「だいじょうぶだって」とゆずらなかったが、駐車場まで歩くのはあきらめた。彼が車をとってきてくれる。

今考えると、「これは本陣痛じゃないだろうか…」と自分でほぼわかっていたのに、どうしてあんなに行きたかったのか・・・ちょっと不思議な気がする。行ったほうがよいという予感のようなものがあったのかもしれないし、お腹の子に操作されていたのかもしれない。

痛みの間隔をはかりつつ、イオンに着いた。やっぱり10分かその前後くらいのサイクルで、キツい痛みとゆるめの痛みがだいたい交互にくる。思わずしゃがむほどの痛みのすぐ後に、おまけみたいにゆるいのがついてくることもあった。

時計とにらめっこしながら、本屋で本を何冊か買った。陣痛中にあるといいと聞いていたので、ウイダーインゼリー的なものも買ったりした。


帰宅する頃にはもうごまかせない痛みになっていた。

あわてて病院でもらったテキストを出してきて、「陣痛中の姿勢」というところを見る。

イラストを真似てあぐらをかいて痛みを迎え撃ってみたが、

太ももがわなわなしてとてもじゃないけどじっとしていられない。

いろんなポーズをとりつつうろうろしてみたところ、四つんばいが楽なような気がした。

まだ「あははは痛いよー」と笑ってさえいられたが、

さすがに病院に電話しなければいけなくなった。

「すぐ来なさい」と言われるだろうと覚悟していたのだが、電話口のスタッフさんの反応は「どうします? 強弱があって10分間隔ぐらいだったら、来といてもらってもいいし、もう少し様子を見て7~8分になってからでもいいし」と意外とのんびりだった。

「違うかもしれないしまだまだかもしれないけど診てもらってみる」というような雰囲気になってしまった。

少し一人で出かけていた父親がちょうど帰ってきて、

父親の車(8人乗りの広いエルグランド)で病院に出かける。両親と彼とわたし。

車の中でもきつい痛みが何度か来て、窓の上の手すりを握って耐えた。



続きます。

38週の検診。彼は仕事で来れず、母がつきそってくれた。

とりあえず、問題はなし。

推定体重が3000gをこえた。

3000という数字にインパクトがあって、びっくりしたわたしと母に、先生が「驚くことない、標準です」と言う。

まあ、推定だし、実際出てきてみないとわからないけど、自分が2800くらいで産まれたので、出てくる気配のないうちから3000って大きいような気がしてしまう。

子宮口は柔らかくなっているが、まだ指一本分も開いてはいないらしい。

このぶんだとまだまだかなあ。


39週に入るあたりから、ますます寝苦しくなった。

寝るときにいわゆるシムスの体位をとると、下になったほうの肩に重みがかかり、肩が凝って気分が悪くなってしまう。

それになぜか横向きになると胎動が激しくなることが多くて、痛くて気になって眠れない。膀胱が押されてる感じで、トイレも近くなるし。

膝を立てれば仰向けもできるが、ずっと同じ姿勢でいるのはしんどい。

でも足の付け根は相変わらず痛むし、腰痛もあるから、寝返りをうつのがつらい。

日によるが胃酸が逆流してきて眠れないこともある。

そのせいか昼間は眠くてだるい。

これがいわゆる臨月のつらさなんだな。

お腹の大きさがほぼMAXなんだから、しんどいのは仕方ないけど。わたしのは「丸くふくらんでいる」というより「丸いものをとってつけた」ような形をしている。おへそはもう平らだが、幸い、妊娠線はできていない。

それにしても疲れる。

出産に怯えていたわたしもさすがに「もういいから早く出てきて~」という気持ちになりかけている。

予定日まで1週間・・・そわそわ、落ち着かない。


クリスマス三連休。

1日目、弟の車で送ってもらって、わたしは一時帰宅した。

が、タイミング悪く、彼は新しいゲームを買ったばかりだった。一日中、隙を見てはDSを開いてたし、前からやってるブラウザゲームの様子もちょくちょくチェックしに行っていた。

わたしが彼をじっと見たり、読んでいた本を置いたりすると気づいてDSを閉じるのだが、

こちらがまた本を読み始めると、「よし」とばかりにまたゲームを始める。

気を使ってくれてるんだなと思ったが、

次第に「いや、気を使ってるってことは本当はゲームに没頭したいってことやん」と気づいて、せっかくわたし帰ってきたのにゲームのほうが大事なんだ、とブルーになってしまう。

「わたしがいたら邪魔? 帰ってこないほうがよかった?」と言って、夜、泣いた。

彼はなんとかフォローしようとしていたが、

「ちゃんとサキの相手するよ~」みたいな言い方をしてしまって(結局義務感でしかないとわかって嘘くさい)、余計に墓穴を掘る。

そのくせ、わたしがまた実家に帰った後は「サキがいないと張りが出なくて、ゲームやってない」なんて言うのだから呆れてしまう(笑)。

でも一応、ごはんのあとにプレゼントの交換はした。わたしは彼にちょっと高いシャンプーとリンスのセットを。彼はわたしに、マスターピースのリュックを。高かったと思う。たぶん、子どもを連れて外出するならと想定して、リュックにしてくれたのだろう。とてもうれしい。


翌日の夕方、一緒に実家へ。

彼には一泊してもらって、家族でクリスマスを過ごした。

ワインをあけて、チキンを食べたり、ケーキを食べたり、とても普通で幸せなクリスマスだった。

わたしは彼に誕生日プレゼントを渡した。

ノルディック柄のカーディガン。

まあ、クリスマスプレゼントのシャンプーと合わせても、マスターピースのリュックより全然安いと思うが(笑)、

彼は喜んでくれた。

次の日の昼間は両親とわたしたちでカラオケに行って遊んだ。

夜、いよいよ彼が帰るときには寂しくて、誰もいない部屋へ彼を連れて行き、

彼の胸に顔をうずめて、匂いを嗅いだ。彼はギュッと抱きしめてくれた。


年内最後の検診は28日だったが、何も異常はなく、あっというまに終わってしまった。

赤んぼは推定2600gちょっと。産まれてもいいけど小さめかなという感じ。お母さんの体重が+8キロ以上じゃないと赤ちゃんは小さめになっちゃうんですよと言われた。+8キロまではあともう少しだ。

内診もしたが「まだ閉じてますね」とのこと。

なので、すぐには産まれないかなという感じだ。


その後の年末年始の休みにも、彼はこまめに実家に来てくれた。

お正月には墓参りや、家族麻雀をした。彼は麻雀が大好きなので楽しそうだった。わたしが一人で負けた。

兆候はないとはいえ正産期なので、赴任先にいる彼のお父さんたちや彼サイドの親戚には会いにいかなかった。とてものんびりなお正月だった。

彼がいてくれたほうが父と話しやすいというのもあり、楽しかった分、彼が戻ってゆくときは寂しくて心細くて泣きそうになる。別々に暮らしている以上、会えば別れがついてくるのは仕方ないのだが。


10ヶ月最初の検診を機に、里帰りすることになった。

ここからは検診が週1になるし。


彼と二人での暮らしも、とりあえず終わる。

さらに言えば引っ越しの予定があるので、今の家で暮らす日々もあとわずかということになる。

里帰りは出産のため、引っ越しは今よりも家賃安くて広い家に移るため、という、前向きな変化なのに、

すごく、寂しい。

この街にはわたしたちの通っていた大学があって、友達やクラブの仲間がいっぱいいるし、なじんだお店や道も多い。それに、結婚して二人で住み始めた最初の家だ。共働きの時も、わたしが退職してからも、生活は楽しくて幸せだった。

わたしのお腹を見ながら、「この子はこの家を知らないままになるんやな」と彼が言う。彼は学生時代下宿していたので、わたしよりももっとこの土地に愛着があるはずだ。「やっぱりちょっと寂しいな。でも、これでいいんやな」とつぶやいていた。「いつでも遊びにこれるよ」と、自分に言い聞かせるようにわたしは言った。


実家はここから車で40分~50分ほどの距離。家族のことは好きだし、何も悲しいことなんかないのに、約2ヵ月彼と離れて暮らすのだと思うと、寂しくて涙が出る。もうすぐ人の親になるというのに、わたしはまだ子どもみたいだ。

泣いてしまうわたしを、「会いに行くから」と彼はなぐさめた。


検診へ行く。

ちょっとカンジダが出ていた。確かに、かゆいと思うことがあるが、そんなにひどくはない。

中期ぐらいから?おりものの量が多い。しょうがないかと思う。下着がすぐ汚れるのだけがうっとおしいけど。

エコーは……この週数になるともう何が何だか、よく見えない。4Dでも、あいかわらず顔は隠してるし(笑)。推定体重は2560gほど。立派なものだ。本当にこの通りなら、もう生まれても大丈夫なくらいだ。

ちょっと前に胎児の心臓の検査で、穴が開いてるかもなどといわれていたが、

どうやらもう一度検査するらしい。外部に資料を送って調べてもらっているらしく、「撮影しなおして、もう一度送ってくれっていうことでね」と言われる。少し怖くなったが、この日撮ったものを医師が見る限り問題はなさそうだというので、ひとまず楽観することにする。

次に、胎児が元気かどうかの検査をする(NST)。お腹に機械をつけて、心拍数と胎動を見る。

その前におっぱいが開通しているか確認があった。

おっぱいマッサージ、いいかげんにしかしてなかったので「まずいかも」と思ったが、看護師さんがつまんでひねると、透明な液がぷちゅーっとしみ出た。びっくりした。自分でしてるときは出たことなかったので、やり方がぬるかったのかもしれない(笑)。

「開通してきてますね。これからは毎日マッサージやってね」と言われた。

検査は、要は胎児が元気であるというデータがとれればOKで帰れるということだったのだが、

エコーの前やたらと動いてたくせにこの時は寝こけていたらしくてなかなか胎動のデータが取れず、

わたしはものすごく長い間、機械とつながったままでぼんやり座っていた。暖房がきいていて眠かった。お腹の子もそうだったのかもしれない。

看護師さんが「動け~」とお腹を押してもダメ、わたしが立ち上がって足踏みしてもダメで、

最終的には「ブー」と音が出る機械で胎児をびっくりさせて叩き起こすことになった(笑)。ちょっとかわいそうだけど、笑ってしまった。


検診後からそのまま実家に留まり、里帰り生活が始まった。

家を空けるにあたって、一人になる旦那さんのために妊婦さんはいろいろ準備をしておくものらしいが、

わたしはこの通りズボラ人間だし(笑)、彼は一人暮らしの経験があるので、たいして何も心配することなく、自分の必要最低限の荷物だけ持ってバタバタと家を出てきてしまった。

ただ、彼は料理はするけどいわゆるおかず的なものって作らないので、冷蔵庫の中を見て、彼が使わなさそうな食材で日持ちのしないものだけは前日に使い切っておいた。

そうしてできた煮物と白和えを、半分実家に持参し、半分は彼のその日の夕食にと残しておく。あとは、鉢植えに水をやってねとお願いしたぐらいで、他に特に言い置いておくこともなかった。時間がなくて洗濯も洗いものも残してきたが、「俺やるから気にすんな」と彼は言う。日ごろから手伝ってくれているので、物の在処を知らないというようなこともない。ゴミの日だってちゃんと知っている。公共料金の支払いも前から彼の担当だし。

わたしができて彼ができないことって少ないなと思った。


実家では、なるべく家のことを手伝うようにして過ごしている。

あと、実家に置いたままになっていた荷物がまだけっこうあったので、それの整理をしたり。

彼はちょくちょくメールや電話をくれる。うれしいけど、寂しい。


臨月に入ったわけだが、お腹が重く、恥骨・股関節痛がつらい。

あと、これは寝床が変わったせいもあるのか、寝る前に胃酸がのぼってきて本当に気持ち悪い。

臨月になるとお腹が下がってきて胃がすいてくるとか、胎児の頭が骨盤に入ってきて固定されるので胎動が減るとかよく聞くが、そういうのはまだ全然ない。食べるとすぐお腹いっぱいになるし、胎動も痛いくらいある。

あんまりあてにならないのかもしれない。

でもほかに生まれそうな予兆も何もないので、お産はまだまだ先なのだろうと勝手に思っている。単に覚悟ができてないだけだとも思うが(笑)。

わたしがつわりでしんどかったのと同時期に、わたし以上にひどいつわりに苦しみ、入院もした友達がいた。

何度もメールをやり取りして不安やつらさを打ち明けたり、励ましあったりした。

その彼女が、先日、元気な女の子を無事に出産した。

なんだか身内のことのように嬉しい。体重も減ったままだときいていて、心配していたから・・・本当によかった。


わたしももうあと一ヶ月ほどで生まれるわけだが・・・

ここまできても、まだあまり実感がわかない。

お腹は毎日もぞもぞ動いているし、その動きには愛しさを感じるけど、この中に赤んぼがいる(しかももう生まれてもなんとか生きていけるくらいの、「完成」に近い赤んぼ)ということを、うまくイメージできない。事実としては理解できても。

そういうこともあってか、早く顔を見たいな、直接触れてみたいな、と思うようになった。

でも同時に「産むの怖い!」という気持ちもやはりある。まだまだ腹が据わらない(笑)。準備も途中だし。


9ヵ月後半の妊婦健診に出かける。

今回から内診が加わったが、おりものの様子を見るためだということだった。

エコーはいつも通りある。今回、顔がけっこうはっきり見えた。なんだか鼻が立派だった(笑)。唇はわたしに似たのか厚めに見え、ふてくされたように「ぶにゅー」となっていた(笑)。

推定体重は2200gをこえた。わたし自身の体重も増えている。最近甘いものをよく食べてるからかな。(でも別にお咎めはなし)

血液検査があったので今回の費用は高めだった。


そのあと自然食バイキングのレストランでお昼を食べ、実家にちょっと寄って、

それから物件を見に行った。

わたしの退職で収入の状況が変わったのと、子どもが生まれることを考えて、引っ越しを検討中なのだ。


そして、夕方からは、大学のクラブの仲間たちと鍋をする。夫婦で出席。

久々に部室に入ったが、あいかわらず汚い(笑)。物も増えて、カオスっぷりが増していた。

鍋はおいしかった。くちびる火傷しちゃったけど。

途中からやってきたスモーカーが一人、狭い部屋でタバコを吸いだしたので、

鍋も終わって片づけも済んでたし、わたしは帰ることにした。

普段は別にそこまで嫌煙家でもないのだが、やはり妊娠中の身では煙が気になる。彼はわたしに「大丈夫か」ときいてはくれたけど、さすがにスモーカーに「吸うな」とまでは言えない。わたしだって言えない。

「動いてるか」とか言ってわたしのお腹気にしてるくせに、ちょっと外に出て吸うくらいの配慮はしてくれてもよさそうなものなのに……ともやもやしたが、仕方のないことだ、イヤならわたしが出ていけばいいだけのことだ、と諦めた。こっそり一人で帰ろうとしたのだが、彼が出てきてちゃんと家まで送ってくれた。


日曜の夜、彼が寝入るころになってまたしても寂しくなり、拗ねた態度をとっていたわたしを、

彼が「こっちおいで」と呼んでくれた。

服を脱がせて、ベッドの中で後ろから抱っこしてくれた。

構ってもらえるのがすごくうれしくて、寂しさはどこかへ消し飛んだ。あまりにもゲンキンな自分がちょっと恥ずかしい。

彼はそのまま最後までしてくれた。

最近、セックスが終わると、なんとなくお互いに「ありがとう」と「ごめんね」を言う。

嬉しさと同時に、相手の体への負担を心配する気持ちがあるからだと思う。

彼は疲れているし、わたしはお腹が大きいから。


臨月間近なわけだが、まだ胎動は激しい。おとなしいときはおとなしいが、、動くときはすごい動き方をする。彼が見ていた時に左から右へ「ぐにょんっ」と動いたことがあって、「今の、まわし蹴りだよきっと」と二人で笑ったりした。

だいぶ胃が圧迫されているのか、ごはんの後がとても苦しい。寝起きに、食べづわりみたいな、空腹からの気持ち悪さを感じる日もある。